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山本長左さんVol.2
utsuwa
02

職人が大切に受け継いできた技術。
それにどう息を吹き込むか。

山本 長左さん

九谷焼

1990年 宮内庁より依頼を受け、天皇・皇后両陛下御紋入器を制作。
即位の礼「響宴の儀」に使用の漆器を含む全和食器の菊花をデザイン食器七品目を制作 。
以後、宮内庁、日本国政府より種々のご依頼を受けて製作。弟でろくろ師の山本篤さんと一緒に、妙泉陶房としても活動。

正確で素早い仕事ができること。
それがプロの「最低条件」だと思う。

写しをするとよくわかるのですが、昔の人は下書きをしていないんです。だいたい4分割くらいに構図を分けて、一発でさっと描いている。同じような感覚で写しをするためには、土台がしっかりしていないと怖くて描けないんです。芯がずれてしまうんですよね。

でも、弟の篤がろくろをひいてつくった器は、そのあたりの安定感が違う。ろくろをひくときに中心部分に型打ちの“型”を置くのですが、それがわずかでもズレていると焼き上がりもひずんでしまい、絵付けにもその影響が出てくるんです。篤の器は中心がぴたっと合っているから、写しの芯がゆがむこともない。絵付けに集中できるんですよ。家を建てるのと同じで、しっかりとした「基礎」があってこそ、その後の工程を正確に進めていけるというわけです。

どんな業界でも、プロはね、ごまかしてはいけないんです。下手な人ほど、ゆがんだ部分をなんとか繕おうとして手を加える。でも、小手先のごまかしでは根本解決にならないですよね。

そう考えると、人間と焼き物って何だか似てますね。土台さえしっかりしていれば、あとは多少の横風が吹いてもゆがまない。焼き物も基礎がしっかりしていれば、後は何とかなるもんなんです。

正確で素早い仕事ができること――それがプロになるための最低条件じゃないかと、僕は考えています。

だから妙泉陶房でも、お弟子さんたちの“基礎”の部分は何より大切に考えているんです。そのためには、同じものを言われた通りに時間内でつくる――そんな単純にも思える仕事を重ねていくことが大切。体が仕事を覚えて何か見えてくるものがあります。

“基礎”を自分のものにして、さらにそこに自分なりのものをプラスオンしていくことができてはじめて、本当のプロだと言えるんじゃないかな。うちの陶房で働いておられた竹内瑠璃さんなんかは、そのプロセスを経て短期間でぐーっと成長された方ですね。

あまりに緻密な仕事をされるので、もう少し肩の力を抜いていいくらいかも、と思ったりもしますけど(笑)。


作り手と使い手のプロ意識があってこそ、いい器が後世に継がれていく。

「自分なりのもの」を加えていく、というのは、プロとして腕の見せ所ですよね。そのまままったく同じものを量産するだけなら、印刷でいいわけですから。写しの手本となるものを“本歌”と呼ぶのですが、それを見ていると、肩によけいな力を入れずに間合いで描いていることがよくわかります。

間合いというのは、「これ以上描いたらくどくなるな」とか「ここらへんでやめとこか」みたいな、肌感覚のこと。“基礎”をきちんと押さえた上で、そういった感覚を大切にして、わざと力を抜いて崩す。遊ぶ。そういった感性で楽しむことが、味わい深い作品を生み出すんです。


プロという点で考えるなら、器は作り手だけでなく、使い手があってこそ。料理を盛る人が器を生かしてくれることなんです。料理を楽しむ人が、料理人の気持ちみたいなことを感じて、割れや欠けのない状態できちんと返せること。料理人がしっかりと手入れをすること。

そういった当たり前の積み重ねによって、いい器が後世に残されていくのではないでしょうか。後世の人が見ても、他の職人さんが見ても「これ、いいな」と思ってもらえるものを発信し続けないといけない。

そう思いながら器と向き合う毎日です。まだまだ修行ですわ(笑)。

長左さん、篤さん、それぞのの息子さんも父親の意志を受け継いで、絵付け師、ろくろ師として活躍されています。写真左から、高寛さん(ろくろ)、長左さん、篤さん、そして長左さんの息子・大輔さん(絵付け)。