Shintaro.media
山本長左さんVol.1
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職人が大切に受け継いできた技術。
それにどう息を吹き込むか、なんですよねぇ。

山本 長左さん

九谷焼

1990年 宮内庁より依頼を受け、天皇・皇后両陛下御紋入器を制作
即位の礼「響宴の儀」に使用の漆器を含む全和食器の菊花をデザイン食器七品目を制作 。
以後、宮内庁、日本国政府より種々のご依頼を受けて製作。

弟でろくろ師の山本篤さんと一緒に、妙泉陶房としても活動。

アンティークを見て触れることで見えてくるんです。
― ―その時代に生きた、職人の気持ちっていうのかな。


器に絵付けをするのが私、長左の仕事です。ほとんどがオリジナルの絵ですが、時に昔の器の写しを依頼していただくこともあるんです。私は写しが本当に好きでね。アンティークをじっくり見て、触ってみると、作り手が生きていた時代を感じることができるんですよ。


例えば鹿の絵の写し。

以前、妙泉陶房で活躍されていた竹内瑠璃さんが「生きているように見える」と褒めてくれたものですが、描くときに当然生きて動いている鹿を知らないといけないですよね。実際に奈良に出かけて鹿の動きを見たり、図鑑で調べたりもしました。

でも、一番大事にしているのは、300年も前の職人さんが描いた鹿を見ながら、その人にはどう鹿が見えたのかという“気持ち”を察すること。

「あ、この鹿、この職人さんには不細工に見えとったんやな」とか感じることが大切なんです。作り手の気持ちになって、線のスピードや、素焼きの生地への絵の具のしみ込み具合などよく見て再現していく。

気持ちと技巧を再現しながら、自分やったらこうしたいな、というエッセンスもちょっとだけプラスする。

それが私の写しです。

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左↑右都和がお願いをした芙蓉手の本歌。


器は、単なる「モノ」じゃなく、人の心が宿った「作品」。
だから写していて、発見がある。楽しめる。

鹿をデッサンして正確に描けるという人はそれでいいと思うけれど、みんながみんな同じだとおもしろくないんよね。表現方法と切り口は、人それぞれやと思うんです。たとえばクラシック音楽にしても、楽譜は同じでも、演奏者や指揮者によって作品は変わってくる。

それと同じように、写しもその人なりの味わいが出てくるものだと思うんです。実際、アンティークの作品をいろいろ見ていると、汚れていたり、ゆがんでいたりするものも多い。でも、そんなマイナス要素も味わいとしてプラスになり、人を惹き付ける“力”を持っているんです。

器は単に「モノ」としてとらえるのではなくて、人の気持ちとか思いが込められた「作品」なんだと私は思うわけです。その昔、焼き物は官窯と民窯という2種類があったんですが、民間の窯である民窯の作品には、何というか“一心さ”が感じられます。

その理由はきっと、作品の売れ行きそのものが生活に直接影響していた、ということ。生活をかけて質を追求した職人さんたちのまじめさとせつなさ――そういった味わいを楽しめるのもアンティークの持つ魅力なんじゃないでしょうか。


実際に写してみることで「こんな描き方もある!」「こう表現するのか」って気づかされることも多いんですよね。過去の作品と今の自分とを客観的に比べてみて、今の自分に足りないものを学ばせてくれたり、モノづくりで大切なことを改めて思い出すことができたり。

だから、写しはどれだけやっても飽きることがないんです。

↓『青華樹下遊鹿文 盛皿』(径約24cm)。下絵から窯出しまで。どうぞご覧ください。


絵付けは、お弟子さんも一緒に4人が1チームで行います。新米のお弟子さんはストップウォッチは必須なんだそうです。

Shintaro.mediaより

山本長左さんは、ろくろ師である弟の山本篤さんと一緒に『妙泉陶房』という窯元を経営されています。

自分たちのことを“茶碗屋”と呼び、使ってくださる方々を想像しながら、日常で食卓に並ぶような器を作り続けておられます。たとえば50代後半のご夫婦で、お子様はすでに社会人で独り立ちし、食卓はいつも二人なら?奥さまが食事をお作りになって、器に盛りつける。いつも使う小皿に加えて、季節や小紋は献立や気分で小鉢を使い分けてくださったら?小鉢に盛った煮物を食べていくと、少しずつ現れる花鳥の絵柄。「これ、何の鳥だろうね」でもかまわないから、食卓に器が花を添えることができたら、「茶碗屋としてとても嬉しいことです」と、長左さんは言います。

お弟子さんをかかえ、絵付けなら3年で卒業。「弟子をかかえることで分業ができるから、たくさんつくれるし、価格も抑えられる。そして、妙泉の絵付けのクセがつかないように、3年で独立させるんです。そのほうが本人の個性も出せるしでしょうしね。」。

そんな長左さんが写しをしてくださった芙蓉手のお皿を囲む食卓、想像するだけで愉しそうです。

あ、ちなみにご本人からではなく、噂で聞いたのですが、『妙泉陶房』の名前の由来は“妙技”が“泉”のように溢れ出る、という思いが込められているとか。いま、まさにそんなお仕事をされていると思います。