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前田禰奈さんとの対談【2013年10月】
essay
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1.出会いは6、7年前。

前田 禰奈(以下 ジーナ) あるママが人形町の私のお店に、慎太郎ママを連れて来てくれたのよね。土曜日だから私も男の恰好で(笑)。

矢部慎太郎(以下慎太郎) そうそう、私も普通の格好で、思いっきりスッピンだったと思います。どこも行く気もなかったから。もう6~7、8年かなぁ。そのママとはね、すっごい仲良かったんです。今は家を建てて、子どもを産んで。すっごい綺麗で面白い人だったんですよ。いい女。ああいう人が今いないですよね。

ジーナ それからですよね。共通のお客さんがいてね、お互いにお店を行き来し合って。

慎太郎 最近は年に1回、会うか会わないかで。ね、お母さん。

ジーナ あたしのこと「お母さん」っていうのよ。ま、お母さんなんだけどね。

慎太郎 浜町の母。わくわくしますよね、この町。

ジーナ 店によってはキツいところあるわよ。

慎太郎 いや、それはどこも一緒ですよ。お母さん。

ジーナ マナーとか格式っていうの?ここは昔、吉原だから、ね。お付き合いはいろいろあるんですよ。芳町芸者の発表会やら踊りのご祝儀とかね。

慎太郎 そういうのって、今はあまりないじゃないですか。知らん顔する人が増えちゃって。だから、してくれる人に甘えすぎちゃうっていう悪循環なんです。ところでママはいつから夜の仕事に?

ジーナ 私、鹿児島出身で、大学からこっちなのよね。で、大学1年の時からこっちの世界。

慎太郎 お母さん、鹿児島なの?あららら、ご縁ある。私の周りにも鹿児島の方が多いんですよ。で、みんなすごい団結力があって、私にも優しくしてくださいます。

ジーナ 多摩美を3年で辞めたの。3年を3回やったんだけど、私、出席日数が足りなくて。だって朝まで仕事してるし、学校に行けないじゃない?美術系の大学だから作品は出してたんだけど。いろんなアートも遊びも覚えたんだけど、こっちのほうが儲かるかなと思って。チップはぼんぼん入るしね。

慎太郎 じゃあそのまま、初東京で初赤坂?

ジーナ そう、新宿2丁目とかは遊びには行ってたけど、どうせ入るなら一流に入ろうと思って。赤坂に。

2. 赤坂はバブルの頃でした。

慎太郎 その頃の赤坂って凄いですよね。もう角栄さん全盛期でしょ。お母さん若い時だもんね。

ジーナ もうチップがね…。ある総理大臣がね、あ、これ言っていいのかしら。いいよね。個人名は言わないし。ニューオータニでパーティするから、ゲイのコンパニオン集めてくれって言われて、20人ぐらい集めて。

慎太郎 遊びよね、粋は。遊び。

ジーナ お店にも来てくださってたし。

慎太郎 昔は大臣が凄かったのよね。

ジーナ その方は総理大臣になったから。

慎太郎 立派!今はもう総理大臣になっても遊べないんでしょうね。

ジーナ クラブに行っちゃいけないとか。ホテルのバーで飲むとかしかないんでしょうね。その頃って、カメラは新聞記者しか持ってなかったものね。今はみんながカメラ持っちゃってる時代だから。

慎太郎 怖いですよね。パシャって。

ジーナ あたしもある方と銀座歩いているところを撮られたり、その前は赤坂で飲んでるとこ撮られてて。お店の女の子も、パパッと撮るじゃない?それがどっかに流出しちゃったみたいで、部下の方にすごい怒られたのよ。記事にはまるで私が話したみたいにいろいろ書いてるから。

慎太郎 知らないわよね。いじめちゃだめですよね。

ジーナ 赤坂の話なんだけど、お店は完全売上制だったからね。

慎太郎 もう潰し合いよ。お店の仲良しなんかなかったもんね。

ジーナ 先輩後輩は厳しかったよね。お姉さんっていわなきゃいけないし、いわなきゃ灰皿飛んでくるしね。”言いなさいよ!”って。

慎太郎 いろんなお話もあるでしょ?

ジーナ 私、全部しゃべっちゃうと東京湾流されちゃうわ。コンクリート詰めになって。

慎太郎 大丈夫よ、お母さん。

ジーナ 若かったしね。野球選手とかね。

慎太郎 政治家さんも多かったしね。でもそういうことも、ご本人が亡くなるまでは言わない方がいいけど、やっぱり歴史だから残しておきたいって思うんですよ。先輩達がどうしてきたかって興味あるし、勉強にも楽しみにもなるから。今の子たち、何も聞かされてないから、夢も希望もないでしょう。

ジーナ マナーとかね。

慎太郎 マナーもそうだけど、いろいろ教えないとだめですよね。

ジーナ ぱっとイジメると…いや、イジメるというか教えると”怖い”ってすぐ辞めちゃうしね。

慎太郎 辞めちゃうぐらいならやらなきゃいいのに。言う方がしんどいのにね。

ジーナ そうそう、ゆとりの子。感覚が違うわ。メールで休みますって。

慎太郎 え?ありえない。ところでお母さん、赤坂はどれぐらい?

ジーナ どれぐらいかな。ずっとゲイバーで、十数年、かな。

3. とにかく派手に、の時代。

ジーナ 私たちたち、とにかく派手にしなきゃいけませんでしたから。お金なくても派手に。見栄と虚栄の世界ですからね。
(ジーナママの思い出アルバム登場)

ジーナ 日本髪とか写ってるかもしれないわね。いろいろ。

慎太郎 あら、この写真はショータイム?

ジーナ それ、私の最後のステージかな。

慎太郎 これ、どこでやったの?

ジーナ それはね…池袋サンシャインプリンスホテルだったかな。レッスン含めて3日間、ゲストで呼ばれてね。もう振り覚えるの、大変だったもの。女の子のダンサーの中に私ひとり入って。

慎太郎 私はムリ。もう昔から覚えが悪くて。

ジーナ ソロは適当にできるけど、みんなで一緒に踊る時はね、ちゃんとしないと(笑)。

慎太郎 こういうカツラかぶるのよね。赤坂の高級なお姉さまって。日本髪でなくて洋髪でもね。

ジーナ もちろんカツラですよ。みんな持ってるわよね。

慎太郎 きれい、豪華。え、この写真はお店でしょ?これで仕事してたの?

ジーナ そう。1月、2月はこれ。お店の決まりで。赤坂のママは、全部自前で買わなきゃいけないのよね。お店の方針に合わせて、かつらも全部作って。もう置屋と一緒よ(笑)。

慎太郎 高いんですよね、良いかつらは。

ジーナ それ松竹専門で結ってくれるゲイの人がいたのよ。もうすぐパパッとやってくれるの。すごいいい人だったんだけど、もう亡くなられましたね。かつらもこっち(人形町)に来た時に、この辺の芸者衆に全部あげちゃった。

慎太郎 でもいいですよね、喜ばれたでしょう!大変ですものね、作るっていったら。この黒紋付も豪華。

ジーナ 貯金なんかしないし、後先なんにも考えてないもんね。もうその日暮らし。

慎太郎 私も一緒。今もなんにも考えていませんよ。その日暮らし大事ですよ。優雅で豪華~。

ジーナ あ、それすごい高いドレス。レオナール。

慎太郎 レオナール、ロングでね。

ジーナ あの、社長夫人が着てるみたいな、ね。昔レオナールのネクタイって流行りましたよ。

慎太郎 ね、昔のプッチのちょっとおとなしいバージョン。それにしてもお母さん色んなことをなさってる…。

ジーナ 日舞、洋舞、歌、全部習ってた。ショーがあったからね。歌も覚えないといけないし。スタンダード系とか、シャンソンとかも歌ってましたよ。

慎太郎 昔のゲイバーって、お金かかってましたよね。お店も。カルーセルさんがパリでやったときは、壁も全部ベッチンだっていいましたよ。

ジーナ そのとき一緒にやってたっていう人がパリにずっと残ってて、私一回行ったのよ。で、「あんたパリにきなさいよ」って言われて、2ヶ月ぐらいいたのね。アルカザールってところでオーディション受けたんだけど、しゃべれないからね。歌は良かったんだけど

4. で、銀座。

ジーナ 赤坂の次は、4年くらい銀座。入るなら銀座の一流に入ろうと思って。そこでは一から教わったかな。だって新宿2丁目とか遊びにいったらクビだったもんね。そういうのが雰囲気として外に出ちゃうから、プライドもってちょうだいって。いい時代の銀座よね。

慎太郎 でも、もう10年前のママでも知らない人ばかりよ、変わっちゃって。誰も知らないから寂しい感じです。

ジーナ 今レンタルなんだってね、着物って。昔はおしゃれ日とかあってね、毎月毎月たいへんでしたよね。それも新しいの着なくちゃいけない。

慎太郎 高いドレスとか着物をね。

ジーナ どこかにしつけが残っていなくちゃいけないの。仕付け糸が。それをお客さまに、見せなくちゃいけないんですよね。

慎太郎 そう、わざとね。

ジーナ お客さまに引かせちゃって、その引いた人が買ってあげなくちゃいけない。

慎太郎 粋な遊びですよね。ご祝儀とかもね、いろいろ難しくって。

ジーナ ねね、お姉ちゃん、ご祝儀いくら包めばいいのって聞くと、”あんなの気持ちでいいわよ”って。気持ちってわかんないわよね。

慎太郎 ないですよね。

ジーナ 1万円だもんねぇ。でもその分使ってくださるからね。ここにいれるのよね、1万円。背中に。

慎太郎 そう日本髪で、着物を解いたらお札がハラハラハラって落ちるわけ。

ジーナ 粋な人はスッとね。

慎太郎 ぽち袋に入れたり、そのままだったり。もう背中ガサガサよ(笑)。

ジーナ そうそう。こうやってぽんぽんってたたいたりね。

慎太郎 験がいいのよ。厄よけっていうかね。

ジーナ ところでお店は何時まで?

慎太郎 儲かるまで(笑)。

ジーナ あたしも一緒(笑)。

慎太郎 うそばっかり!3時に帰ってるじゃない、お母さん。

ジーナ いま増えたでしょ、銀座。ゲイバーが。

慎太郎 いや減って増えてんじゃないかしら。そういえばお母さん、美川(憲一)さんと友達の方…

ジーナ あ、吉野さん?吉野さんは仲良くしてた。かわいがってもらったなあ。よく昼間会ってたの。喫茶店があってね、そこにいくと必ず誰かがいるの。

慎太郎 そうそうそう、知ってます。青山のね。もうね、美川さんとか徹子さんとかね、すごい人が集まるの。もちろんジュンコ先生とかね。

ジーナ 銀座でやってた頃ね、美川さんの明治座のチケットがあるからって、お客さまに付き合って行ったの。そしたらマネジャーさんと出会って。”ちょっと美川が呼んでます。楽屋に来て下さい”って言われて行ったら、”あんたなにやってんの!?”、いや銀座で店やってますけどってなって。”あんたなんで教えないの!”って。

5. 人形町のバー新田にて。

慎太郎 バー新田。やっと来れました。もうイメージ通り、っていうか素敵!伺うのは初めてですけど、皆さまからお話伺ってます。

ジーナ 何回か探したのよね、わかんないっていうから。

慎太郎 私ね、明治座の向かいかと思ったの。あの辺をウロウロとね。いつもどこだろって。素敵。こんな庭付きの一軒家なんてね。中央区で。お庭もきれい。

ジーナ いつも猫が2~3匹いるんだけどね。

慎太郎 お母さん、人形町はもう何年くらい?

ジーナ 10年くらいかな。オープンしたて、まだよそ者っていわれてた時なんだけど、エレベーターに乗ったらね、知らないおっさんに「オカマ、降りろ」って言われて。

慎太郎 えーっ!

ジーナ すごいショック受けて。あたし店やってますからって言ってさ。でね、その人には文句言えないから、そのお客さんが行ってるお店のママに「どういうこと?」って文句言って。もうびっくりしちゃった。銀座ではそんなの言われたこともなかったからさ。

慎太郎 でもお母さん、今でも一緒。いろいろ言われますよ。とろこでお母さんの「禰(じ)」っていう文字はいつから?

ジーナ あれはね、占いの先生が決めたの。元々はカタカナだったんだけど、「ジーナ」だとお金がたまらないっていわれて。その代わりに友達なくすわよって言われたけど、お金がたまるならいいやって思って。

慎太郎 ジーナは赤坂の時から?

ジーナ 赤坂ロマンだったからロマンジーナって言ってた。それで「禰(じ)」は人形町に来る少し前かな。当時は儲かったからね。車も車検ごとに乗り換えていたし。でも、もう乗り換えられない(笑)。

前田 禰奈(Gina MAEDA)さん

Profile
鹿児島県出身。東京の美術大でアートを学ぶ傍ら、赤坂で水商売の世界に浸かる。バブルの頃と重なり、本業は学業から接客業へ。銀座を経て、現在は人形町で「らうんじ まえだ」のママ。政財界、芸能界に顧客を持ち、赤坂、銀座のゲイバーの裏も表も知る存在。