金子國義(以下 金子) 最初に会ったとき、覚えてないのよ
矢部慎太郎(以下慎太郎) 10年くらい前。アイリーンですよ、先生。私が銀座に出てきてすぐくらい。でも、その時どうだったとか、細かいことはあんまり覚えてないよね…
※アイリーン・アドラー=銀座の文豪バー
金子 なんだか自然な感じだったんじゃない?でも、もう10年になるの…?そんなになる?お互いに若かったのよね。
慎太郎 なりますよ〜。中村屋さん(中村勘三郎さん)もそう。自然にスッと出会ってね。
金子 中村屋がその時いたの?そう…。
慎太郎 もう少し後かも…いや、そのすぐ後だったかしら。
金子 僕、最初、慎太郎に怒ったの?
慎太郎 なんか先生の周りのみんなが、先生と私が仲良くなるのをいやがったのかな。あまりにも親密になちゃったから。新参者のくせに。
金子 10年前っていったら、慎太郎はすごく若いじゃないですか。それでも、僕と仲良くなるくらい綺麗なものを知っているってことは凄いですよね。
慎太郎 でも、私は先生に教わったことが多いです。着物のことも、美術品のことも、歌舞伎のことも。本当にいろんなこと。大阪では歌舞伎もたまに見てましたけど、眠くてしょうがなかったんです。だって、ただ歌舞伎を見るってだけだから。でも先生と出会って、中村屋さん(中村勘三郎さん)と出会って、見たいものを見に行くようになってからは、それはもう楽しいですよ。
慎太郎 実は今年ね、玉さんの衣装から、これ作っちゃった。帯締めはバッと白で。この着物、ほんとは4月の周年パーティに着ようと思ってたんですけど、先生の松の着物が出来上がってくるから、もうこれ着ちゃいました。帯も着物もぜんぶ玉三郎さんの歌舞伎の衣装をアレンジしたんです。あんまり素敵だから。ビデオとか写真を拝見しながら「こういう図案も素敵」って考えました。
金子 いいじゃない!これ。あの人のセンスはすごいよね。
慎太郎 そう、着てみたら合うの。だから玉三郎さんがこの着物で歌舞伎に出る時は、私もこの着物を着て見に行きたいんです。ぜんぜんお話は違うんですけど、昔ね、大阪に歌舞伎役者のゲイバーがあって、たとえば道成寺をやるっていったら、みんなが道成寺の衣装を着て店で待ってるんだって。そういうの、嬉しいじゃないですか。だから金子先生と本日お会いするっていったら、金子先生の着物で行きたいし。そういうのも心遣いだと思うんです。意味がないものって、ほんとに意味がないものね。でも先生の着物は、小紋もいいけど、やっぱり一点ものがいいですね。先生、桜の着物、来年作ってほしいな、と思ってます。一ヶ月毎日着ますから。あと、先生の着物って意味がありますよね。勘九郎君の結婚式であの銀杏の着物を作っていただいて、森光子さんと写真を撮っていただいたのが懐かしいわ。
金子 銀杏の着物、あれも良かったね。
慎太郎 良すぎるの!だから普段着にはできないけど。後ろには、鶴が銀杏の葉をくわえている紋を作っていただいてね。
金子 でも慎太郎は才能がある人ですよね。すごいと思う……やり手って言ったらおかしいけど、もうね、四方八方なんでも興味がある。これがいい!というものを見つけるのは才能ですよ。さっきの水差しを見て「欲しい!」って言ったでしょう。ぱっと見てね。僕もぱっと見てこれ欲しい!って思うんですよね。
慎太郎 私も欲しいと思ったもん。綺麗なものが大好きだから。
金子 そこが共通点かしら。
慎太郎 それと、こだわり。
金子 好きなんですよ、そういうのがね。好きじゃないとね。。
慎太郎 いやなものは絶対にいや。
金子 嫌いなものは大っ嫌い。好きなものは、もう大好き。
慎太郎 いちど好きになったら嫌いにならないもんね。
金子 ね。いいものがわかるってことが、才能じゃないかしら。いいものがわからない人は、不粋。
慎太郎 金子先生には、どなたか先生がいらっしゃったんですか?
金子 僕は日大の芸術学部に通っている時に舞台美術の長坂元弘先生に弟子入りすることになるんですけど、それがもう…箸の上げ下ろしから始まって、全部教えてくれて。先生より先にお箸をつけちゃいけないし。
慎太郎 でも先生、もともとそういうのはご存知でしょ。
金子 好きなんですよ、そういうのがね。好きじゃないとね。
慎太郎 好きじゃなきゃ始まんないですもんね。
金子 好きだから、食いついたら離れない(笑)。タクシーに乗るでしょう。それでね、「先生は右っておっしゃってるけど、ここは左ですよ」って言ったら、「先生が右だと言ったら右だ」って。そういうきついところがありましたね。
慎太郎 右、右、右で、ぐるっと回れば元通り。そこで左に行けばいいんですから。そこで「私が言ったことが正しいんだ」ってね。自分の審美眼を信じるって、そういうことですよね。何が正解かって、その人が言ったことが正解なんですから。
金子 慎太郎とは、緊張なしっていうのがいいよね。さばけてるっていうか、それが垢抜けるってことなんですよね。
慎太郎 話が合わないとか、美しいものに興味がないとか、そういう人は友達になれませんよね。
金子 そう。そういう人はダメですよね。美しいものを見抜く。その審美眼っていうのは、美しいものをもう一つ美しく思うっていうんでしょうか。だからお着物でもそうですよ。美しいね、って言うんだけど、もうひとつ!……素敵だなって思う。それが上等、高級なのよね。
慎太郎 『オデッサの階段』、先生ご出演になりましたね。素敵でした。
金子 私、陰影礼賛が好きなのに、スタジオはすごく明るかったんですよね。でも四谷シモンさんがいいこと言ってくれてるんです。僕が絵を描くきっかけになった切り抜きのお話。
慎太郎 これなんですね。
金子 そうそうそう。プードルとか、絵はがきとかいっぱい貼ってあるでしょう。こういうのに熱心に時間をかけて作ってたというのが、やっぱり勉強になってんでしょうかね。
慎太郎 ぜんぶ無駄じゃありませんよね。ところでこれを作ってるのは、いつなんですか?先生。
金子 舞台美術をやめて、自分の好きな物を集めては…って頃。自分の原点。慎太郎の原点は何ですか?
慎太郎 原点…なんでしょうか。お仕事は京都・祇園で始まったんですけど、やっぱり美しいものにすごく惹かれるのは銀座に来てからかしら。先生と出会ってからですよ。ほんとに。だって私、凝り性で、ググググッって、急速に吸収したくなっちゃうから。1年で5年分ぐらい!
金子 あのね、僕は自分のことを自慢するんじゃないんですけど、いいものを見抜くっていうその力は、結構あったんですよ。いいものがあると、どうしても買っちゃう。こういうランプとか。
慎太郎 欲しいものは欲しいですものね。
慎太郎 先生、これから描いてみたい絵ってあります?
金子 やっぱり人物。だって、海を描けっていったって描けないですよ。パンジーとかすごく可愛いから、お花も描きたいと思うんだけどね。そういうのはこれから少しずつ描いていきたいと思ってます。
慎太郎 先生にいま描いていただいている先笄(さっこう)の舞妓さん。楽しみです。
金子 「先笄(さっこう)」。あの芸妓になる前のね。いいよね。
慎太郎 そう、わずか2週間だけの限られた時間ですからね。
金子 そう。本当に泣けてきますよね。
慎太郎 昔だったらお嫁行く儀式みたいなものですもんね。お披露目の。今なら二十歳すぎちゃうらしいですけど、12、3歳で舞妓さんになって、16、7歳でもう芸妓さんだったらしいですよ。ほんとに子供らしいときに舞妓さんをして。大人になりますよっていう2週間があるから、ちゃんと大人になれるんですよね。いま、若者にそういうのがないから、ずっと子供だったりね。
金子 そう、成人式も中途半端だし。着てるものもみんな変ですよね。
慎太郎 振り袖もレンタルでしょう。本当は親子でね、こういうのを作りましょうかっていうのを、2、3年前からお話してね。おばあちゃんが作ってくださるから、じゃぁ金子先生お願いいたしましょう、なんてね。ところで先生のお着物、松の着物を作っていただいたから、次は桜と、菖蒲をお願いしますね。
金子 菖蒲は時期がちょっとしかないでしょう。
慎太郎 先生は、いつから銀座にいらっしゃってるんですか?
金子 いつからだったんだろう…。でも何しろね、以前のことはあまり覚えてないんですよ。楽しかったことはちゃんと覚えてるんだけど、なんてことないのは覚えがない…。それはやっぱり、ミソね。楽しいことは覚えてる、いやなことは忘れる、と。すぐ忘れるから。頭がいいのでしょうかね。おりこうさんなんですよ。
慎太郎 先生にとっての銀座はどんな街ですか?
金子 銀座はだってもうね、中学の時から毎日銀ブラ。それでね、夕方になると同じ人しか歩いてないんですよ。銀ブラする人って、お洒落じゃないと。お洒落でしょ。今はもう変わりましたね。
慎太郎 以前は、ホテルに行くから、デパートに行くからってちゃんとしてましたよね。
金子 何しろ銀座が好きだったから、銀ブラして、ぶらぶら歩いてね、姉さまと、うちのおっかさんと三人姉妹って感じで。銀座といえば、コシノ・ジュンコさんですよね。
慎太郎 このあいだ、ジュンコ先生とブラジルを旅したんです。私ね、先生とジュンコ先生って、似てるな〜と思うことがたくさんありましたよ。
金子 あ、そう?
慎太郎 もちろん審美眼ね。好き嫌いじゃないんですよね。ブラジルではカーニバルのプロデュースをされたんです。もう美しいものが好きだから、手直ししないといけないことがあったら、みんなと話をしてても、気になって気になってしょうがないの。直るまで気になっちゃうんですよね。
金子 昔、ジュンコが「リオのカーニバルにネコを連れたったら、気が狂うよ」って言ってたんですけどね。
慎太郎 素晴らしかったけどね、遠いですよ。だからまずパリに行きましょうよ。
金子 橋がきれいよね。
慎太郎 綺麗。朝散歩してね。美味しいクロワッサンとね。カフェオレを飲みながらね。
金子 このホームページ、前はジュンコさんですよね。けっこう僕の話があったでしょ。
慎太郎 そう!ネコが、ネコがって。だって10代から一緒でしょ。
金子 21よ。1960年代だったと思うけど。小松ストア(銀座)に入った時から、コシノ姉妹二人が光ってた。オーラがばーっとあって、自然とそこにいっちゃったんですよ。
慎太郎 え!?じゃぁ小松ストアで出会ったの?友達の紹介じゃないの?
金子 ちがうちがう。自分で進んでいって。
慎太郎 芸術家って、引き寄せ合うんですね。へぇ〜!
金子 そう、引き寄せられて…その日から意気投合って感じでね。それから毎日よ。乃木坂にジュンコさんのお家があったのね。それで最初、斉藤くんってカメラマンが、毎日小松ストアの横で座って待ってんのよ。よほどジュンコさんのことが好きだったんでしょうね。ずーっと待ってて一緒に帰るっていうね。やっぱり好かれたんでしょうね。ジュンコさんはね。
慎太郎 先生もね。
金子 ヒロコさんはわかんないのよ。ちょっと謎めいていて。ジュンコはあけっぴろげだからね。それでみんなで朝までお話するのよ。話がつきなくてね。
慎太郎 先生はいま、私の絵を描いてくださってるんですよね。
金子 そう。絵ってやっぱり美しくならないと、絵にならないんですよ。だから写真を撮って、それで描くんではなくて、美しいなと思ったら、その人の印象を描いていくものなんです。そういえばこないだお店(サロン・ド 慎太郎)で、お客さんが泣いてたのよね。
慎太郎 私をモデルにしたあの絵ですよね。花魁の絵を見たお客さまがね、「素晴らしい」って。
金子 あの絵のところでじ〜〜〜〜っと見つめてね。涙ぐんでるの。感動?感激しちゃって。男性。いい女だなって思ったんでしょうね。ちょうどその時、僕もお店にいたんですよ。だけど向こうは僕に緊張しちゃってて、あまり喋らない。本物がいたらね。だけどね、僕はもうさばけてるから。
慎太郎 ね。先生、意地悪じゃなくて優しいから。人によるけど。
金子 何でもさばけるの。
慎太郎 好きな人以外、会う必要ないものね。お互いに時間って限られてるじゃない。私たち、ほんと30年くらいのお付き合いじゃないかなって思います。ね、先生。
金子 そうですよね、なんか腐れ縁というか。サロン・ド 慎太郎って、いやすい雰囲気ですよね。
慎太郎 ありがとうございます。
Profile
1964年より独学で油絵を描き始め、’65年に澁澤龍彦と出会いで『O嬢の物語』の装幀と挿絵を担当。’67年、個展『花咲く乙女たち』で画壇にデビュー。
絵画のみならず、着物デザイン、写真など多岐にわたる作品を発表し続けている。歌舞伎界への造形も相当に深く、十八代目 中村勘三郎襲名披露興行の際、続いて、六代目 中村勘九郎襲名披露興行の際の口上の美術を手がけた。